私が森嶋帆高に恐怖した理由~『天気の子』感想

天気の子を見に行った。

楽しかった。しかし、なぜかものすごく不安になった。
さらに、なぜかものすごく「君の名は」を再び見たくなった。

そして、その夜は、さっぱり眠れなかった。

てっきり襲ってきた台風15号のせいだと思っていた。
しかし、それは違った。鑑賞から数日経った今ならわかる。

 


私はずっと、森嶋帆高に恐怖していたのだ。

 


その理由がさきほど自分の中で腹落ちしたので、備忘のためにここに記す。
つくづく新海監督の作品には、私のような末端の視聴者にさえ何かを語らせてしまうだけの力がある。

先に書くが、ネタバレ満載だ。もし見ていない方がいれば、速やかにブラウザバックされたし。

 
さて、私は、新海監督が本作品を企画するにあたり、当初結末を3パターン想定していたと推測している。
私が推測する想定結末3パターンは以下の通りである。


1)陽菜が消える
2)陽菜が戻り、狂った天気は全て元通りになる。(調和の取れた未来=「君の名は」)
3)陽菜は戻るが、雨は止まず天気は狂ったまま(本作で選択された結末)


1)陽菜が消える


寡聞だが、セカイ系と呼ばれるジャンルに最も多い結末であると思う。(誰かセカイ系とヒロインの死亡率について研究している文献があれば教えてほしい。)

dot.asahi.com

 10代のころは感情の一つ一つが鮮やかに尖っていて、喜びも激しく、悲しみも血が流れるくらいにしんどいですよね。僕自身、そういうときにエンターテインメントに救われたことが何度もありました。宮崎駿さんの作品や「新世紀エヴァンゲリオン」といった作品が好きでした。

「誰も自分を好きになってくれない」「自分は誰にも必要とされていないんじゃないか」と感じたとき、村上春樹さんの小説から「自分だけが孤独なわけじゃない」と教えてもらった気がします。僕の作品も観客にとって、そんな役割を担えればうれしいとは思います。


上記の記事をみるかぎり、新海監督は、自分が救われたのと同じように若者を救いたいと思って映画を作っているように見える。
そうした文脈で考えると1)は選択肢から外れる。同様に帆高が死ぬ未来も論外だ。
ヒーロー・ヒロインが死ぬ話には感動はあるかもしれないが、若者に対する救いはない。


2)陽菜が戻り、狂った天気は全て元通りになる。(調和の取れた未来=「君の名は」)


これは「君の名は」で選択された結末である。
もし、私がプロデューサーの川村元気さんだったら、確実に2)の結末を推す。
確実に一番数字が取れるから。

しかし、新海監督は、この結末を「君の名は」で採用したことにより、大きな批判にさらされ、それが「天気の子」制作の原動力になったと述べている。(上の記事参照)

ただ正直、不安もあります。というのは「君の名は。」では批判もたくさんいただいたんですが、「災害をなかったことにする映画だ」という意見もありました。僕はそんなつもりはなく、ただ「彼女を死なせたくない」という願いや祈りの結晶のような映画を作りたかった。でもそのことで傷つく人もいるのか、と気づかされました。
だから「次は批判されない映画を」ではなく「もっと批判される映画にしたい」と思って作りましたし、それが創作の原動力になってもいます。


このため、本作が生まれた経緯を考えると、2)も選択肢からは外れる。(私が川村元気さんなら頭を抱える……)


3)陽菜は戻るが、雨は止まず天気は狂ったまま(本作で選択された結末)

 

そうすると選択肢はこれしかない。


「好きな人と一緒にいるという己の欲望を世界の調和よりも優先し、その結果世界を破滅させても、責任を感じる事なく『僕たちは、大丈夫だ』とその選択を肯定する」

帆高の人格は、全て「こいつならばこの選択をしても不思議はない」と観客に納得してもらえるように設計されたと考える。

では帆高はどんな性格か?
それを考えていたときにふと以下のページが目に止まり、思わず目を見開いた。

 

ja.wikipedia.org

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

 

良心が異常に欠如している

⇒陽菜に会うためならば、東京に来てからずっと世話になっていた須賀に対しても、なんのためらいもなく銃を向ける。また、終始一貫ものすごい勢いで法律違反を重ねているが、そのことに対して特に良心が痛んでいる描写もない。

 

他者に冷淡で共感しない

⇒彼は映画の中で終始一貫、自分の感情の赴くままに行動している。他者に共感しているシーンは私には見つけられなかった。また、須賀も夏美も彼を助けたために警察に逮捕されているが、そのことに対して申し訳ないと思っている描写もない。

 

慢性的に平然と嘘をつく

 ⇒特に嘘をついている描写は発見できなかったが、どんな法律違反も躊躇しない帆高であれば、必要があれば平然と嘘をつくことも辞さないだろう。

 

行動に対する責任が全く取れない

罪悪感が皆無

 ⇒彼は、お世話になった人たちに自分を助けるために法を犯させる事態になっても、何ら責任を感じていないし、罪悪感を覚えた様子もない。(おそらく須賀は検挙されたことで娘に会いにくくなったはずだし、夏美の就職への影響もゼロではないはずだ)。

また、最終的に東京を水没させても、須賀と滝のおばあさんの話を聞いただけで平然と「僕たちは大丈夫だ」といい放ち、罪悪感を感じている様子もない。この点、エヴァンゲリオンQにおける碇シンジとは対照的である。

 

自尊心が過大で自己中心的

 ⇒最後に陽菜に再開するシーンで疑問だった点がある。私であれば、3年間連絡をしていなかった好きな子に会う場合、最初に気になるのは彼氏の有無である。

献身的な性格の美少女が、高校で人気がでないはずがない。同じ学校のイケメン達が右手に花束、左手に自慢話を手に彼女の前に列をなすことであろう。そうすれば陽菜としても、たとえ帆高の事を憎からず思っていたとしても、単純接触効果により、3年間連絡を寄越さなかった男よりクラスのイケメンに心が傾いても何ら不思議はない。

しかし、帆高はそれを全く心配している様子がない。逆に卒業式で自分が告白されるのではないかとワクワクしていたくらいである。

 

口が達者で表面は魅力的

⇒口が達者かはわからないが、彼は須賀に文章の能力を評価され、採用された。また「晴れ女ビジネス」を思いつき、サイトを構築してそこそこビジネスとして回るレベルまでアクセスを集めている。ここから、彼は文章は達者であることがわかる。

また、彼が結局保護観察処分で済んだのは、須賀、夏美、陽菜といった関係者が、彼をかばう供述をした可能性が高い。「彼を助けたのは全て自分の責任において行ったことであり、彼は悪くない」と。さらに、彼の家出の理由が父親からの虐待であった場合(初登場の際、顔に傷を追っている)、警察に連絡せずに匿った事の一応の理由付けにはなる。これならば、安井刑事の性格も相まって保護観察処分に落ち着いてもおかしくはない。

 

天気の子を見終わった後の観客の感想の多くが、「帆高に感情移入できない」というものだったそうだが当たり前である。国民の多くが、サイコパスに感情移入するほどこの国の倫理観はまだ狂ってはいない。

 

おそらく、新海監督は、帆高をはじめからサイコパスとして設計するつもりはなかったと思う。しかし、新海監督の想定する結末に観客を導くために、帆高は結果的にサイコパスに近い人格となる必要があった。

 

私が最も恐怖を覚える人間は、行動が予測不能な人間である。

そして、サイコパスの行動は予測不能である。

私が森嶋帆高に恐怖を覚えた理由は、「帆高の行動が予測不可能だったため」だったのだ。

そして「君の名は」を見たいと思った理由も、私が「登場人物の行動が予測可能で、危険な人物がいない世界を見て安心したい」と思ったからなのだ。

 

帆高の行動は、全く予測ができない。

 

例えば、私は最後のシーンで後ろに陽菜の彼氏が立っており、「うーす、陽菜。お祈り終わった?……彼、誰?友達?」というシーンが控えているでないかと、心配していた(往々にして現実は非情である)。

もし、そうした状況になった場合、帆高がどんな行動を起こすか、私には恐ろしくて全く想像ができない。

 

この徹底して自分本意な帆高と自分よりも他人を優先してしまう陽菜は、おそらく悲しいくらい相性が良い。人によってはこれを共依存と呼ぶかもしれない。

ただ、帆高は自分が大学にはいって後輩から告白されて浮気することはあっても、陽菜から「高校で好きな人ができた。別れてほしい」と言われた場合、「僕は世界よりも君を選択したのに、君は僕を裏切るのか!」と激昂しそうな気がする。

 

とはいえ、サイコパスとビジネス適正は極めて高い。彼は3年間、島で息をひそめるように生き、大学に合格する。これは、彼が衝動を制御できるようになった事を意味する。これは成功するサイコパスには必要な条件である。 

ケヴィン・ダットンの調査による、サイコパスの多い職業の上位10位は次のとおり[1]。

CEO
弁護士
テレビやラジオのジャーナリスト
小売業者
外科医
新聞記者
警察官
聖職者
コック
軍人

 

おそらく新海監督は、次回作でも帆高と陽菜をファンサービスとして登場させることだろう。ぜひ、その際に帆高がなんの職業についているか、注目していきたい。

 

あ~、「君の名は」を早く見たい。安心したい。

なんというかね、帆高君……君は怖いよ。